はじめに閲覧されるべきもの

大切なことを書いたり、書かなかったりします。

親愛なる父へ


父は毎日のようにパチンコに通っていた。


僕の父はDQNだった。


父はギャンブルを好み、酒を、タバコを愛していた。
競艇を、オートレースを愛していた。
僕は小学校の頃に父から麻雀や花札を教わった。


父の商業高校時代のアルバムを見ると
バイクにとんでもない乗り方をしている写真があった。


母から、父親がバイクで突っ込んだ交差点の家を教えられるのが嫌だった。


母から、父親の喧嘩の武勇伝を聞かされるのが嫌だった。


僕の小学校の授業参観のとき
父は廊下から教室に向かってピースをしてきた。
僕は恥ずかしくて嫌だったけど
父は小学校の友達の間で人気があった。


僕はDQNではない。


だが、DQNは強い優性遺伝傾向があると聞く。
自覚症状が無いだけなのかもしれない。
そのうち発症して
夜な夜なドンキホーテを徘徊するようになるのかもしれない。


僕はそこそこ真面目だった。


僕はそこそこ真面目に勉強し
そこそこ真面目な学生生活を経て
こうしてそこそこ真面目なブログを書いている。


僕と父は、あまりにも違いすぎていて
時には血のつながりすら疑うこともあった。


僕が大きな交通事故にあったとき
父は500km離れた実家から車で駆けつけてくれた。


その1ヶ月後、父は倒れた。


僕の交通事故での心労や、急な長距離運転が祟ったのか。
僕は改めて、自分の交通事故を悔いた。


僕が交通事故で全治1ヶ月の重傷を負った年には
奇しくも母も大病を煩っており
家族全員、全身麻酔で体にメスが入った年となった。
僕の家族は誰も保険に入れない期間があり
保険機関からも目を付けられそうにになった。
同年に愛犬も亡くなっており
我が家ではこの年を
『スーパー大殺界』
と呼んでいる。


父はクモ膜下出血だった。


父の手術前、病院には親戚一同が集められた。


父が助かる見込みは五分五分。
仮に、運良く生き残ったとしても
重い障害や麻痺、意識障害が残るだろうと
医師より聞かされた。


手術台に寝かされ
人工呼吸器を付けられ
ゆっくりと手術室へと運ばれていく父。


そのときの父には
まだ意識があった。


僕は
何故か
手術室に入っていく父に向かって
ピースサインを送った。


父も
僕にピースサインを返してくれた。


親戚の方々には
『何て不謹慎な』
と思われたかもしれない。


かまわなかった。


僕は
父と繋がれたような気がした。


クモ膜下出血は最初の出血で1/3が死亡する。
さらに血管攣縮や再出血の影響が加わり
4週間以内では約半数が
10年以内では60〜80%が死亡すると言われている。
また救命できても後遺症が残る例が多く
完全に治癒する確率はクモ膜下出血を起こした人の中で2割と低い。


Wikipedia クモ膜下出血 より


父はギャンブラー。
麗しのギャンブラー。


父はあっさりと2割の方を引いてきた。


父は手術後、元気に退院し
その後、特に後遺症もなく
今朝も元気にパチンコのモーニングに並んでいる。


そして父の武勇伝に
『頭蓋骨に穴を空けた話』
が加わった。


Run - B'zThe Gambler B'z