はじめに閲覧されるべきもの

大切なことを書いたり、書かなかったりします。

新しい季節は何故か切ない日々で

桜島


春は花粉。
夏は暑い。
冬は寒い。


僕は秋が好きだ。


春はあげぽよ。
秋は夕暮。
夕日のさして、山の端いと近うなりたる。


秋は山の季節。
夏と冬の僅かな空白に紅葉が燃えるように一気に色づく。


僕は山が好きだ。


広大な自然の中に入ると
改めて自分のちっぽけさに気付く。
あぁ、自分はただ生かされているんだと実感する。
救急車など到底来られない山奥に分け入り、
ガードレールのない崖から遙か下の谷底を見下ろしたりすると


『ここで足を踏み外したら簡単に死ねるんだ。』


と、心から感じる。
いつも自分のすぐ近くに在る死の存在を改めて知覚できる。
同時に、自分が生きているという紛れもない事実を再認識できる。


山を登ることで、自分の体力の限界を知ることができる。
そのために必要な食事の量、水の量、
生きて行くのに本当に必要な道具を知ることができる。


身も心も身軽にして、自然に入る。


自分の身体、精神、生活に存在していた無駄な贅肉を
削ぎ落とすためのヒントがそこにはある。


ところで、山が好きな人たちに対して
あなたはどんなイメージを描くだろうか。


「また山においでよ。」
的な優しくてたくましい山男を想像するだろうか。
それともストイックな孤高の人を想像するだろうか。


エンジニアの世界で"技術屋"という言葉を好む人たちがいるように、
山の世界でも"山ヤ"という言葉を好む人たちがいる。
そして、そのどちらも変なこだわりをもった、ちょっとめんどくさい人たち。


はっきりいって、山好きな人は何か変な人がすごく多い。
そして、僕はこんなにモメゴトが多いコミュニティを他に見たことがない。


イモトがモンブランに登頂成功しては
謎の嫉妬登山家が大騒ぎし


トレイルランナーが大自然を駆け抜ければ
他の登山者との接触が危惧され


犬連れの登山者がいれば
野生動物への感染症問題が提言され


初心者が下り優先の行列を作れば
上級者が丹沢でテントを張り


オシャレな山ガールが山を彩るようになれば
山をナメるな!お前が山の何を知っているんだ!とオジサンがクダを巻き


若者の間で最新技術が投入された軽量ギアが持てはやされれ
荷物を軽くするくらいなら体を鍛えろと山岳部が苦言を呈し


登山客が減ればマーケットが冷え込み
登山客が増えれば自然環境問題が浮き上がり


とか、書いてるそばから
僕のブログにも反論が寄せられる。


2chの登山・キャンプ・アウトドア板のスレも
大体どこもかしこも山火事中だ。


こういった山にまつわる多くのモメゴトの原因は、
山に興味を持つ人口の多さと、世代の広さあると考える。


ゲーム雑誌、アクアリウム雑誌、プロレス雑誌、自転車雑誌等と比べても、
山雑誌はかなりの数が発刊されている点から、そのビジネス規模が伺える。


同様に、山登りを楽しむ世代の広さも多岐にわたる。


1950年代、ヒマラヤやエベレストを含んだ標高8000メートルの山々が次々に初登頂された。
そして1955年、日本隊も標高8000メートルのマナスル登頂を成功させ、戦後の沈んでいた日本に大きな希望を与えたと言われている。
その後、日本でも登山ブームが起きた。
そのときの流行に乗っていたのは、流行大好き団塊の世代
そして、団塊の世代は、会社をリタイヤした現在、
再び山に向かっている。


中高年から、若者まで、多くの世代が
それぞれの考え方、それぞれのスタイルで山を楽しんでいる。


確かに、世代間の軋轢はある。


それは、これから山とどういう関係性を築いていくべきか、
僕たちが考えていく順番が来たということなのだと思う。


少なくとも、団塊の世代がバトンを受け継いできてくれたからこそ
僕たちが今こうして山に登れていることに
感謝しなくてはいけない。


故きを温めて新しきを知る。
そして、今が正に若い世代がバトンを受け取るとき。


日本の国土は3/4が山地だ。
古くから日本各地には山岳信仰が存在し
日本人は山と共に暮らしてきた。


僕は、山に登ったことがない人にももっと山に来て欲しい。
できるだけ多くの人に、もっと山を身近に感じてほしい。


山は僕らのすぐ側にある。
イカットの登山靴じゃなくたって山には行ける。
山は僕らの街と繋がっている。


山においでよ。


Your own riskで。


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