はじめに閲覧されるべきもの

大切なことを書いたり、書かなかったりします。

僕は文章が書けない


例えば、カメラさえあれば写真は誰だって撮れる。
だけど、誰もが良い写真が撮れるわけではない。
それは、『良い写真』と呼ばれるものにある程度の文脈が存在しているからだと思う。

  • 地平線のような大きな線と被写体と空間がバランスよく配置されていること。
  • 構図は黄金律を主体とし、その上で完全均一ではない『崩し』があること。
  • 『アングルによる奥行き表現』『光源による色彩コントラスト』『露光による対象抽出』によって対象に対する意志が明確であること。


ファッションにも文脈が存在している。

  • トップス、ボトムスが長方形ではなく三角形の組み合わせになるようにバランスよく配置されていること。
  • 流行を取り入れて、色彩や柄にまとまりを持って、コントラストを入れて引き締めた上で、まとまりすぎないように僅かに『外し』があること。
  • フォーマルなのかカジュアルなのか意志主張がぼやけておらず、明確であること。


時に文脈から外れた作品が評価されることもあるけれど
それもやはり王道となる文脈があってはじめて成立するカウンターカルチャーであるといえる。


同様に、小説やエッセイのような文章にも
テクニックとしての文章の書き方が存在している。


そういった意味で
僕は文章が書けない。


さらに
僕は理系人間だ。


これは僕が文章を書く上での
最大のコンプレックスであるといえる。
もちろん、理系出身者にも著名な作家はたくさんいる。
星新一東野圭吾海堂尊瀬名秀明森博嗣
しかし彼らの作風でさえ自らが理系であることをあまりにも強く意識している。
これをコンプレックスと呼ばずして何と呼ぶべきか。


僕は文章が書けない。


僕が『文章が書けない』っていうのは、
僕らの世界でいう『ソースコードが汚い』っていうのと似ている。


僕は文章が書けない。


文章は本来それ自体が美しい存在であるけれども
僕はそれを美しく配置することが出来ない。


僕は僕は文章が書けないかわりに
せめて、君に『何か』を伝えることを最優先したいと思った。


僕は割り切ることにした。


現在の僕にとって文章はただの媒体であり、手段であり、
君に『何か』を伝えるための道具の一つにすぎない。


僕は君に『何か』を伝えるために
限りなく多くの情報量を伝送するために
文法の枷や文章の不文律の禁忌を犯してでも
考えられる最良の手段を用いたいと思った。


例えば、カメラさえあれば写真は誰にだって撮れる。
だけど、たくさんの写真を撮ったからといって
誰もが良い写真が撮れるわけではない。


でも、1年に1回くらい
見た人を理屈抜きで感動させる写真を
小さな子どもが偶然撮ったりすることもある。

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